こんにちは、ひまわりの陽太です。
経験者には身にしみてわかるかと思いますが、貧乏って辛いですよね…。
お金で解決することができない、貧乏にはいろんなことに制限がありどうにもできない苦しみは底辺の苦しみを味わうことになります。
僕自身、実家が貧乏で底辺だと思うような子供時代を過ごしてきました。
よくテレビであるような大家族の特番がありますが、我が家の貧乏具合はとても見せられるようなものではありませんでした。
今は底辺を離れ人並みの生活ができているとは思いますが、貧乏生活の底辺からの脱出までどういった苦労があったのかを記して行きたいと思います。
貧乏人の底辺をさまようとお金は「悪」だと感じる
先程も書きましたが僕の実家は貧乏でした。
大人になるにつれ、シンプルに考えて実家にはお金がなく完全に貧乏で底辺の生活でしたが、貧乏で生まれたこの環境から逃げる事が出来ずその底辺の暮らしで育っていくしかありませんでした。
貧乏ゆえに我慢だらけの環境で、全てあるものでやりくりするしかありませんでした。
友達が何かを買ってもらった、どこかに行ったエピソードなど、我が家には無縁で、貧乏が故に最低限生きるのが精一杯で、親に何かをしてほしいとワガママすら言えない底辺の環境でした。
貧乏暮らしの中、父は働いてはいましたが薄給、母は育児のため専業主婦の家庭でした。後からうちは非課税の家であることを子供の頃に知りました。
貧乏な我が家はいかにお金をかけずに生きていくかが大切で、全てが基本的に最底辺。側から見たら全てが不足していましたが、貧乏な我が家では当たり前。
貧乏だと食事も基本的に全てにおいて足りない。貰えるものがあればラッキー。なければない。
全て単価の安い食材で質より量の食事でした。卵の揚げ物、格安の胸肉やささみ、安い魚などのメニューが多かったですね。
貧乏家族にありがちな基本的には炭水化物と汁ものばかりで、栄養面はかなり偏っていたと思います。
小中学校はありがたいことに給食があったので、そこでみんな1日分の栄養確保していたと言っても過言ではありません。
親に怒られれば食事抜きとかも当たり前でした。
当たり前ですが貧乏家族なので今思うと外食やおやつなど一切なかったですね。
クリスマス会やお友達の家に呼ばれたりして、そういったイベントでお菓子を食べられるのが唯一の楽しみだった気がします。
貧乏家族にはもちろん外食なんて夢のまた夢でした。
お小遣いなんてなかったので、初めて友達と外食したのはバイト代を稼ぐようになった高校生だったと記憶しています。
教育面については義務教育は無料なためなんとか一応行けましたが、貧乏生活から学校で必要なものも揃えることが難しく、中古購入や使い回し、兄弟間での貸し借りなどは当たり前。
小さいながらに我が家にはお金がないことを思い知らされました。服を買ってもらうことも少なくいつもぼろぼろで一昔前のものばかり。行くお店は激安リサイクルショップ。
友達が当たり前にやっていることができない、学校で使うものが買えない、欲しいものがあったとしても言うことすらできない。行きたい学校があっても、貧乏なので金銭面でのハードル。そして親は子供に関して無関心。
病気やけがをしようが、貧乏なので医療費がかかると受診もできない。あまりの重篤の状態の場合をのぞき、気合いで直すしかありませんでした。
「お金がかかることや、使うという行為は悪。」
「お金を持つこと=悪いこと」だとずっと洗脳されてきたのです。
お金があるとろくな人生にならない。金持ちでも不幸な人はたくさんいる。例え貧乏でも今あるもので感謝をする、なくても生きていける、世界を見ればうちより貧乏で苦しい思いをしている人はたくさんいる。貧乏で底辺の生活だろうが、この戦争がない日本で生きているだけでも幸せだ、など…。
ある時身内に不幸があり、貧乏な我が家にかなりの大金が入る出来事がありました。
それでも子供たちや生活のためには一切使用されることはありませんでした。
幼かったこともあり詳細不明ですが、父親はその資金を貧乏にありがちな思考で増やそうと慣れない投資に手を出し、結果としてかなりの赤字となって貧乏に拍車がかかったようです。あまりにも悲しいです。
僕は学校やバイト先以外、外部との接点がなかったので外の世界を知らず、視野がとても狭かったと今となっては思います。
洗脳状態だったので親の言ってることが全てに思えていたのかもしれません。
しかしそんな中でも、我が家の場合は、親がいろんな意味で異常でしたので、一刻も早く貧乏な実家を脱出しなければと物心がついた時には思っていました。
貧乏、底辺環境から抜け出すために大事なこととは!?
貧乏の底辺から抜け出すのに大事なことは「考え方」です。
これ非常に重要です。
例えば、一つの考え方はこれです。
実はお金を手に入れるには価値を提供するという事が大前提です。
例えば、スーパーでお米を買ったりしますよね。
本来なら、お米を手に入れるためには田んぼで稲を植えて育てて収穫して初めて手に入るものです。
それを、農家の人たちが一連の作業をしてくれて、出荷されたお米を僕たちはスーパーで簡単にお金を払うだけで手に入れる事が出来ているのです。
お金と価値の交換ですね。
他にも、目の前にあるものを見てください。
この記事を読んでくれてる端末はスマホでしょうか?PCでしょうか?
何かは分かりませんが、僕たちが作れないものをアップルやパナソニックなどのメーカーの方たちが作ってくれたものをお金を払って手に入れてるわけです。
電気やガス、水道なども同じですよね。
インフラを作ってくれてるものを僕たちは、お金を払って使っている。
僕たちがお金を払ってるものは全て何かしらの価値があり、価値とお金を交換しているだけなのです。
たぶん、この視点を持つだけでも、お金に対する悪いイメージって無くなっていくと思います。
お金は単なる道具です。
料理を作る包丁と同じで、使う人によって凶器になったり便利な道具になったりするわけです。
ぜひ、お金をいい道具として使っていきましょう。
そうすれば、おのずと貧乏の底辺に留まるような考え方から脱却し幸せな生活を手に入れる事が出来るはずです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
PS,実はパソコンを使えば借金を返すことなんて簡単な事を知りました。
もし僕が3500万という膨大な借金を抱え死にかけた所から、借金を完済した人生を同じように歩んでみたいと思ってくれたら、これを読んでほしいです。
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